カール ベンクスについて

Karl Bengs Profile

ご挨拶

建築デザイナー カールベンクスアンドアソシエイト有限会社 取締役

私が日本にやってきたばかりの高度経済成長が始まろうとしていた頃は、まだ東京は銀座にも木造の建物が立ち並び、日本の風情がそこかしこに感じられました。それが、経済成長とともに、日本全国、風景や建物、街並みの画一化が進んでしまいました。どこへ行っても、その地の文化、生活のにおいがしない、のっぺら棒のような風景になってしまいました。
「古い家のない町は、思い出のない人と同じです」とは、東山魁夷がわたしにくれた言葉。古い=価値がないのではありません。古いものは、歴史や思いがつまった、単なる”モノ”以上なのです。使い捨て、大量消費の文化とともに、日本人はモノを大切にすることを忘れつつあるのかもしれません。この世界に誇れる文化の現状は私にとって残念で悲しいものです。私はその素晴らしさを後世に残し伝えたいと思います。
民家の再生は、単なる建物の再生ではありません。民家の再生が、スクラップアンドビルドに象徴される現代日本の価値観、その見直しや、暮らし方、考え方の再生につながることを私は望んでいます。

カールベンクスの生い立ち

日本に興味を持つようになったのは、父の影響です。私が生まれる1942年8月の2ヶ月前に当時のソ連で戦死した父は、日本文化の大ファンでした。絵や家具の修復を手掛ける職人で、自宅に瀬戸物や浮世絵、印籠、根付などを集めていました。日本に関する本もあり、世界に桂離宮を紹介した建築家ブルーノ・タウトの本など、幼い頃から触れていたので自然と日本に興味を持つようになりました。12歳から空手を習い、いつか日本に行きたいと思うようになりました。

 ドイツが東西に分断されたのは、私が6歳の時です。母と姉2人と私は東ベルリンに住んでいましたが、しばらくは地下鉄で自由に西ベルリンに行くことができました。「ベルリンの壁」ができたのは20歳の時。兵隊や警察が道路のあちこちに立って、鉄条網が張られたりするようになり、西側には行くことができなくなりました。

 私は運が良かったのですが、東に残した家族と再会できるまでには、それから10年ほど待たなければなりませんでした。

 いずれ自由な西ベルリンに行こうと考えていた私は、そこで一大決心。夏だったので、子どものころによく泳いでいた川を泳いで西ベルリンに脱出したのです。若かったので危険だとは思わなかったし、「すぐ戻れるだろう」と軽く考えていました。しかし、後日聞いた話では、私の3カ月後に西ベルリンに脱出しようとした友人は撃たれて亡くなってしまったそうです。

西ベルリンに2年住んだ後、フランスに行き、百貨店などのアルバイトでインテリアの仕事をしていた時、静岡出身の武道家がパリで武道を教えていることを知りました。しかも南フランスで空手と柔道の合宿をやるというので、会いに行きました。日本の学生やアントン・ヘイシンク(オランダ出身の柔道家、東京五輪無差別級で優勝)も参加していて、「もし空手と柔道で強くなりたかったら、日本に来い」と誘われたのです。

日大空手

 初めて日本に来たのは1966年です。ヨーロッパから5週間の船旅で、最初に神戸に着きました。一生懸命アルバイトをして買った切符で5週間かけての船旅でした。日本ではドイツ語を教えたり、映画エキストラのアルバイトをしながら、大学で空手の勉強をしました。東京では、日大空手部に入った後、在日ドイツ商工会から仕事をもらい、晴海の展示会で展示場を造ったり、大阪万博のドイツ館の内装を手伝ったり、百貨店のドイツ食品店を手がけたりしました。そこで日本の職人や小さな工務店と交流し、彼らの技術の高さを知りました。

7年ほど日本で暮らしたあと、一度ヨーロッパに戻りました。日本の素晴らしい和風建築を海外で広めたいと思い、ドイツのデュッセルドルフに行き、本格的に建築デザインの仕事を始めました。最初はインテリアだけ扱っていましたが、「自宅にふるさとの雰囲気が欲しい」という日本人のお客さんが現れ、一部屋を丸ごと日本風に改装することになりました。

日本で解体した古民家をドイツに移築

日本の古い民家を探して知り合いの大工さんに尋ねたところ「新潟の松代に米を買いに行くけど、古民家があるかもしれないから一緒に行ってみるか」と誘われました。その時に竹所に一目ぼれし、「ここで年を取りたい」と思いました。1993(平成5)年に新潟県十日町市の古民家を購入し、再生して居を構え、今もそこで暮らしています。2010年、松代の老舗旅館を買い取り再生し、2階に建築デザイン事務所を移しました。1階の古民家カフェ「澁い -SHIBUI」では古民家ファンクラブの勉強会も開催しています。

カールベンクスの理念

 私は、古い建物を守り再生させることに愛情と情熱をもって取り組んでいます。品質を大切にし、細部にまでこだわっています。古民家の外形や建築家のもともとの意図を損ねることなく建物に対する新たな技術的・機能的要求を積極的に満たしていきます。

 第二次世界大戦後は、「新しい」という言葉は、価値があるという意味になり、「古い」ものは無価値とされてしまいました。それと同時に、古い建築物に関する職人的な伝統も失われてしまいました。最近になって、ようやく、人々の考え方に変化が現れ、古い建物の価値や魅力、それが醸し出す雰囲気が意識されるようになりました。古い建物の多様さや着想の豊かさ、そしてその個性的なありように人々が気づくようになったのです。

年表 history

1942年、ドイツ・ベルリン生まれ。
絵画修復師の父の影響を受け、日本文化に関心を持つ。
ベルリン・パリで建築デザインオフィスに勤務しながら、建造物・家具の復元修復を学ぶ。
1966年、空手を学ぶために日本大学に留学。以降建築デザイナーとしてヨーロッパや日本で活動。
特に日本の民家に強く惹かれ、ドイツに移築する仕事に携わる。
1993年、新潟県十日町市竹所で現在の自宅(双鶴庵)となる古民家を購入、再生に着手する。
1999年、カールベンクスアンドアソシエイト㈲を設立。
2010年、歴史ある旅館を買い取り再生。『まつだいカールベンクスハウス』と名付け、事務所を移す。
2016年、日本での古民家再生数が50軒に。

受賞歴

2001年 新潟 木の住まいコンクール 入賞
2007年 第2回安吾賞 新潟市特別賞 受賞
2015年 十日町市市制施行10周年記念 感謝状 受領
2017年 平成28年度ふるさとづくり大賞 内閣総理大臣賞 受賞
     カールベンクス古民家ファンクラブ 発足